【Beyond 2020(4)】新しいソーシャルな「人」と「資金」の市場を創る

一般財団法人社会的投資推進財団(SIIF) 代表理事 青柳光昌

1967年生まれ。1991年に財団法人日本船舶振興会(現・日本財団)に就職後、阪神淡路大震災の復興支援活動や障害者の移動困難の解消、NPO支援センターの強化といったプロジェクトに従事。東日本大震災後は、財団内の復興支援チームの責任者として企業や行政、NPOなどと連携して数多くの支援事業に携わる。その後、子どもの貧困対策などを担当。2017年4月、一般財団法人社会的投資推進財団(SIIF)の代表理事に就任し、日本における社会的インパクト投資の普及のための調査・研究などを行っている。共著に『日本型「無私」の経営力』(光文社新書)、『東北発10人の新リーダー』(河北選書)、『復興が日本を変える』(ぎょうせい)、『子供の貧困が日本を滅ぼす』(文春新書)など。

”あれから”変わったこと・変わらなかったこと

「1カ月後の100万円よりも、今日の5万円だ」

6年以上経った今でも、涙なしには語れないエピソードがある。それは、震災直後の4月4日以降に、死者・行方不明者1人あたり5万円の弔慰金・見舞金を現金で遺族に手渡したことだ。東京の会議室で職員が封筒に現金を入れ、ダンボールに詰め込み、マイクロバスに乗り込んで現地へ向かった。6月末までに死亡者・行方不明者を確認できた84自治体のすべてで実施し、計14,861件、7億4305円を遺族に届けた。

震災直後の4月から、遺族に現金を配る緊急支援を実施。このときの光景は、今でも鮮明に思い出すという(写真提供:日本財団)

「1カ月後の100万円よりも、今日の5万円だ」。会長の笹川陽平の強い決意で実現したのだが、実施するには大きな勇気と決断が必要だった。私は、この緊急支援のオペレーションを作成するよう指示された。震災からわずか10日後くらいのことだ。「現金をどのように配布すればいいか」「悪質な二重払いは発生しないか」など課題は多く、「何が起こるかわからない。リスクもある」と会長らには率直に申し上げた。
照合に必要な身分証明書を失くした人も少なくない。そこで、支給は原則、自己申告制とした。しかし、だ。蓋を開けたら二重払いは1件も起きなかった。それどころか、別々の配付所で受け取った2人の遺族が二重支給に気が付き、5万円を返却してくれたことさえあった。またある日、時間を過ぎて申告してきた高齢女性がいたことがあり、その日は既に用意していた現金を配布し終わっていたため、本来なら渡すことができなかった。しかし、そのとき応対した若い職員はどんな行動をとったか。彼はその場で、自分のポケットマネーで5万円を手渡したのだ。生死の極限で本当に困ったときに人間がとる行動が、こうしたシーンに凝縮されているように感じた。
あの壮絶な光景は今でも鮮明に思い出す。何億、何十億円規模のプロジェクトと同じか、それ以上に強烈に脳裏に焼き付いている。

あのとき、こういう風に「みんなで一致団結して、困っている人を助けよう」とする光景が日本中で沸き起こった。同時に、多くの人がきっとこう思ったはずだ。「人生に一番大切なものは、何なのだろうか」と。命や家族、大切な人を守ること。そして、困っている人がいたら一緒に悩み、支え合うこと。そういう思いが自然と湧き上がり、行動した人が数え切れないほど生まれた。

ソーシャルとビジネスを兼ね備えた人材が生まれた

このように「個」の意思が芽生え、そしてそれがNPOや行政などの「組織」の意識変化につながった。それがこの6年で大きく変わったことではないだろうか。

「ボランティア元年」と呼ばれる阪神淡路大震災、そして特定非営利活動促進法(通称:NPO法)が施行してから約20年。この間、ボランティアやNPOの活動は急速に広がったが、東日本大震災を経てその「性質」ががらっと変化したように思う。従来はボランタリーな使命感や社会運動の色合いが濃く、事業の継続性を担保するのに苦労していた面があった。しかし、震災後はこのNPOセクターに専門的なスキルをもつ団体や、ビジネス感覚をもった人材が新たに加わっている。つまり、「ちゃんと稼ぎながら、社会にいい影響を与える」という「社会性/ソーシャル」と「事業性/ビジネス」の両方を兼ね備えた組織・人材が数多く生まれた。

グロービスと実施した起業家支援プログラムからはその後、数々のリーダーが生まれている(写真提供:日本財団)

また、日本財団が行ったプロジェクトの1つに、ダイムラー社から提供された総額2億円の寄付金でグロービスと実施した起業家支援のプログラムがある。東北初のビジネススクール(MBA)・グロービス経営大学院仙台校への入学金全額と受講料の大半を給付。また、受講生による新規事業のスタートアップ資金として、1事業あたり500万円を上限に助成するという内容だ。2015年末時点で、奨学生は86人、スタート資金の提供者は17人に達する。弁当宅配サービスを展開する愛さんさん宅食(宮城県塩釜市)の小尾勝吉さんや、農業生産法人GRA(同山元町)の岩佐大輝さん、ギター工房を立ち上げた株式会社セッショナブル(同女川町)の梶屋陽介さんなど、東北で起業した卒業生は数え上げたらキリがない。彼/彼女らはこれから、間違いなく日本を代表する社会起業家に育っていくだろう。それは、私個人にとっても非常に感慨深いことだ。

被災自治体に民間の人材を派遣・マッチングする「WORK FOR 東北」。ここで生まれた官民連携の動きは、全国自治体の先例モデルになるはずだ。

行政はどうか。東北各地で外部の民間企業や人材と協力し、住民も巻き込みながら先例のないユニークな施策を企画する自治体がたくさん生まれた。私たちは2013年以降、被災自治体に民間の人材を派遣・マッチングする「WORK FOR 東北」事業を通じ、2016年9月末までの約3年間で、岩手・宮城・福島の3県に計166人の赴任をお手伝いしてきた。こうした外部人材をうまく活用、協働した地域からは、まちづくりや産業、コミュニティなど各分野でこれまでになかったような数多くの事業が生まれた。「WORK FOR 東北」は2016年8月に「WORK FOR にっぽん」へと名称を変更し、対象エリアを東北以外の全国に広げる形となったが、ここで実現した官民連携の動きは、全国の自治体が様々な課題解決に取り組むうえで参考にできる、価値のある運営モデルだろう。

こうした先進的な取り組みを行っている行政に共通するのは、これまでの組織の殻を打ち破るような「個人」がいたことだ。6年以上が経過し、被災自治体の間では復興の足取りに大きな差が生まれている。成功事例として挙げられる自治体には、震災を「自分事」や「チャンス」ととらえ、立ち上がった「個人」が必ずいた。「お役所仕事」と言われるように、行政には目に見えない独特な文化や規律が根強くある。そうした組織の空気を「個人」が打ち破り、周囲に共感の輪が広がり、組織全体が変わっていったところは伸びている。

一方で、行政もNPOも、依然としてお上からの「お膳立て」に頼ろうとする意識をまだ完全に拭い切れていない。例えば、国の補助金だ。誰かに頼ることは決して悪いわけではないが、官の補助を「当然の権利」と思い込み、それに依存してはいけない。自立的に継続・発展することを基本に、補助は必要に応じて適宜使うように考え方を改めるべきだ。

ーBeyond 2020 私は未来をこう描くー

人材の流動性が、社会課題解決の鍵になる

このように、震災後に社会との関わりを強く自覚するようになった、いわゆる「社会化・ソーシャル化」した個人・組織は、今後も間違いなく増えていくだろう。むしろ、そうならざるを得ないのではないだろうか。地球温暖化や少子高齢化、貧困など、これだけ世界規模で問題が山積している今、こうした社会課題の解決を仕事やライフワークにする人が増え、当たり前になっていかないと世界は持続できない。そういう意味でも、「ソーシャル/NPO」と「ビジネス/企業」の垣根も自然となくなっていくだろう。

今後の社会を占ううえで、私が最も重要視してるのはこうした「人材の流動性」だ。特に、NPOなどのソーシャルな業界に入ってくる人材はまだまだ不足している。ビジネスからソーシャルへ、ソーシャルからビジネスへ、ビジネスからパブリックへ。企業や行政、NPOの各セクターが人材をもっと大胆に流動させるべきだ。

それはなぜか。現代の社会課題は高度化・複雑化している。高い自殺率や若者の就労難など、様々な要因が複雑に絡み合って生じている問題ばかりだ。もはや既存のシステムでは問題を解くことはできない。行政や企業、NPOがそれぞれのセクターの枠から飛び出し、互いにリソースを持ち寄りながら連携して初めて、新たなソリューションを見出すことできるからだ。

2016年に始まった「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム」。セクターを超えてインベーションを生み出す場だ(写真提供:日本財団)

日本財団では2016年から、セクターの垣根を越えた協力体制の構築やそのための情報・ノウハウの共有を目的としたイベント「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム」を開催している。「にっぽんの将来をつくる」をテーマに、各セクターの枠組みを超えて各分野の第一線で活躍する方々が議論を交わし、互いの連携や横のつながりを生み出しながら、新しい発想で社会課題の解決を目指す場だ。いわば、ソーシャルイノベーションのハブとしての役割を果たそうというわけだ。
同時に、そうした社会変革に取り組む人たちを「ソーシャルイノベーター」と名付け、彼らを支援する「ソーシャルイノベーター支援制度」もスタートさせた。毎年10組ほどのイノベーターに上限500万円の助成金を提供するとともに、特に将来性のある最優秀賞には上限1億円を3年間にわたって支援するなどしている。

若い世代の地方移住が増えていることも追い風にしたい。NPO法人ふるさと回帰支援センターの調査によると、どの年代よりも20〜30代の移住希望者が増えているという。移住といえば、従来はシニア世代が主流だったイメージが強い。それが今は、多くの若者が「都会よりも地方の方がおもしろそう」「年収がたとえ半分になっても、地方の方が幸せ」などと感じているのだと思う。平たく言えば、「お金」ではなく「生きがい」や「やりがい」、つまり自分がキラキラ輝き活躍できる場所、存在価値を認め必要としてくれる場所を探し求めているのだ。

企業や行政、NPOなどのセクター間の連携と、若者を中心とする地方への関心の上昇。これらが相俟って社会化・ソーシャル化した個人と組織がますます流動するようになれば、社会課題を解決する事業やアイデアが次々と生まれてくるだろう。

社会的インパクト投資を普及させる

このようにソーシャルの世界で多くの人材が活躍するためには、それを支える新しい資金循環のモデルを構築することも不可欠だ。具体的には、「社会的インパクト投資」の市場を広げることだ。これは、教育・医療・福祉などの社会課題の解決を目的とした投資活動を指す。経済的な利益だけを追求するような一般的な投資ではなく、社会課題の解決と経済的な利益を両立させるのがポイントだ。

今年4月には、社会的インパクト投資の普及を目的に一般財団法人社会的投資推進財団が設立され、私は代表理事に就任した。今後はこの財団を中心に、社会的インパクト投資の担い手や資金流通量を増やすための先行事例づくりや制度設計、認知を広げるための活動に力を入れていく。

その有力な方法の1つが、「ソーシャルインパクトボンド(SIB)」だ。これは、行政サービスをNPOなどに委託し、その事業費を金融機関や投資家から調達。事業が実際に成果を上げた場合に行政から資金を償還する官民連携のスキームだ。このように金銭的なリターンが保証されるような仕組みが広がれば、金融機関や投資家などからソーシャルな業界に多額の資金が流れてくることが期待できる。財団も自ら投融資に乗り出し、積極的に市場を拡大させていく。

そのためには、事業や活動の成果の「見える化」と「評価」ができるかどうかが鍵を握るだろう。そこで、その成果を定量的・定性的に評価する「社会的インパクト評価」も強化していく。特にリーマンショック以降、世界的に助成財団や投資家が投資効果をより厳格に見極めるようになっている。この評価手法を広げ成果を可視化できるようになれば、資金がどんどん流入し、NPOなどの活動がさらに成長できる可能性がある。

震災復興の文脈から考えても、震災後に生まれた個人や組織の社会・ソーシャル化をさらに加速させるためには、国の復興予算や民間企業の寄付など単発型の資金ではなく、継続的にお金を還流させる仕組みが必要になる。民間資金の場合は、補助金などと比べて使途の制限も少なく、柔軟に活用できるメリットもある。

日本の社会的インパクト投資市場は約337億円(2016年)とされ、先行する欧米と比べると圧倒的に小さい。例えば、イギリスは2015年末時点で少なくとも2700億円以上、全世界では4兆円規模に達すると言われている。日本でも今後3〜4年間で市場規模を1000億円に拡大させることが目標だ。

まだ知名度は低いが、一気に市場が膨らむ可能性は十分あるだろう。2016年には、長い間取引のない銀行預金を社会的事業に充てることを可能にする休眠預金活用法が成立し、民間資金を有効活用しようという機運が高まってる。また、クラウドファンディングの急成長ぶりもヒントになりそうだ。なぜこれだけ短期間に市場が広がったのか。私は、日本特有の「結」の文化が影響しているように思う。プロジェクトの理念に共感できれば、自然と応援したい気持ちが芽生え、プロジェクトを実現させようと多くの人が協力する。これと同じように、社会的インパクト投資も考え方が共鳴され、結果が出ていけば市場は一気に広がるのではないだろうか。

ソーシャルな個人・組織が輝けるフィールドを

震災後の復興プロジェクトに携わってきた約6年間は、私自身が「これが私の生きる道だ」と腹を括った期間でもある。私に課せられた役割・使命は、この間出会ってきた志ある数多くのソーシャルな個人や組織をバックアップすることだ。

またこれは偶然だが、今年7月からグロービス経営大学院で、社会課題の解決をテーマにしたソーシャル・ベンチャー・マネジメント講座の講師を務めている。財団の内部も含めて、今後は後進をもっと育てることにも力を入れていきたい。

振り返ると、私は一連の震災復興プロジェクトを通じて、一貫して「人材」に投資し、彼/彼女らが活躍できるような構造や仕組みを構築することに心血を注いできたように思う。すべてが順調と言えるわけではないが、この間に蒔いた種は少しずつ実となり、花を咲かせている。現役としてバリバリ動ける残り10〜15年間、私はソーシャル業界の仲間たちが輝けるフィールドをさらに広げることにすべての精力を注ぎ込む覚悟だ。それが叶った10年、そして15年後、日本ではソーシャルな志をもつことが当たり前の文化になり、困難な社会課題が次々と解決するような世界を夢見ている。